カテーテルなんて怖くない!

~不安に寄り添う、ひとつの声~

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手術から1年 不調の連鎖と安心のヒント

不調の連鎖と、あの日の外来。

手首からのカテーテル検査後、右腕に「破裂しそうな感覚」があり、それはなかなか消えませんでした。
力を入れられない日が続き、重いものを持つのを避けながら、なるべく右腕を使わないようにしていました。
すると年齢的なものもあり、右肩が五十肩に。夜間痛でまとまった睡眠も取れなくなりました。右腕をかばって生活するうちに、今度は左手首が腱鞘炎に。ようやく右腕の「破裂しそうな感覚」が落ち着いてきた頃には、左肩まで五十肩になってしまい、左右の肩と左手首に不調を抱えることに。

まさに、右腕の違和感から始まった「不調の連鎖」。何をするにも痛みや不便さがつきまとい、思うように動けない時期が続きました。

本来であれば、術後1年を目安にカテーテル検査を予定していましたが、五十肩の痛みが強く、検査中じっとしていられる自信が持てず、入院日を相談するため外来を受診することに。

そこで、先生から思いがけない言葉がありました。

「謝らないといけないことがあります」

薬の変更?検査が増える?…一瞬でいろいろな不安が頭をよぎりましたが、先生の口から出たのは、まさかの報告。

「夏が終わる頃、病院を辞めて、アメリカに行くことになりました」

まさかの知らせに、心の中で「えー、私も連れてって!」と叫んでいました。若くて才能ある先生の新しいチャレンジを応援したい気持ちと、信頼していた先生がいなくなる寂しさとで、複雑な思いが入り混じり、なんと返事をしたのか、自分でもよく覚えていません。

その日は入院の予約を済ませ、再びいつもの日常に戻っていきました。

慣れと緊張のあいだで

術後から1年が経ち、あのカテーテル検査をまた受ける時期になりました。
入院の1週間前からは、毎朝体温を測って記録します。用紙を見ながら、「あぁ、もうすぐ入院だな」と少しずつ実感がわいてきます。

実は入院の5日前、仕事中に左目の視界が急にぼやけたことがありました。午後の数時間だけでしたが、明らかに左目の視力が低下したのです。
その週は珍しく、パソコンとにらめっこする日が続いていました。だから、ただの疲れだったのかもしれません。
でも、手術した血管は左目の神経のすぐそばなのです。
「左目の視界が暗くなったり、異変があったらすぐ知らせて」と先生に言われていたことを思い出し、ドキッとしました。とはいえ、金曜日の夕方で受診も難しく、そのまま様子を見ることに。帰宅する頃には元通りになっていましたが、忘れないように症状をメモに残しました。

前回の手首からのカテーテル検査は、とても苦しい思い出が残っています。その感覚を思い出すと、今でも少し怖くなります。
でも今回は、あらかじめ先生にお願いして、カテーテル検査を鼠径部からにしてもらう約束をしました。だから「大丈夫」と自分に言い聞かせながら、その日を待っています。

今回の検査で問題がなければ、カテーテル検査はこれで最後。これからは年に1回のMRIだけで済む予定です。体の負担も、きっとぐっと軽くなるはず。

入院準備も、もう特別なことはしません。毎回パジャマを新調していましたが、前と同じものを持って行くことに。生命保険の書類を取り寄せるのも手慣れたもの。そんな自分に「慣れたなぁ」と思いつつ、やっぱり当日までは少しドキドキしながら過ごしていました。

カテーテル検査前夜 安堵と不安のはざまで

2025年8月 入院初日。
血液検査とMRIを終え、先生から明日の検査の説明を受けました。
カテーテルは手術を含め、今回で4回目。細かい説明というよりも「今回はあらかじめお願いしていた通り鼠径部から行う」ということを確認しました。
先生の「大丈夫ですよ。鼠径部から行います。」とはっきり言ってくれる安心感。
それでも、私の心の奥では揺れ動く気持ちがありました。
「鼠径部からなら大丈夫」という安堵と、「もし体があの恐怖を覚えていて、検査中に同じ苦しさがよみがえったら…」という不安。
ふたつの思いが交互に押し寄せ、落ち着かない夜を過ごしました。
21時以降は水以外の飲食は禁止。
22時の完全消灯後、暗い天井を見つめながら、
「これで最後のカテーテル検査だ。頑張ろう」という前向きな気持ちと、
「明日はあの検査か…」という重たい気持ちを抱えたまま、静かに目を閉じました。

温もりと工夫がくれた安心の時間

カテーテル検査当日。
午前6時に起床し、朝食は抜き。身長・体重、体温、血圧を測定し、薬を服用して準備を整えました。
検査室への入室は8時45分。その前に看護師さんから「8時に点滴を始めますので、それまでに検査着に着替えておいてください」と案内があり、検査着を受け取りました。
少し早めに7時15分には着替えを済ませて待っていると、7時30分に看護師さんが現れ、点滴の針を入れる準備を始めました。健康診断の採血ですら苦手な私は、緊張で指先にじんわり汗がにじみます。
そして8時、看護師さん2人が来て、点滴の開始と尿管の準備が同時進行で行われました。
これまで尿管は全身麻酔中に経験したことはありますが、意識がある状態での挿入は初めて。最初のカテーテル検査や手首からの検査では管は使わず、今回が初めての体験でした。
恐怖心で変な汗が出て、私はすでに心身ともに困憊していました。
それでも、「今日を乗り切れば終わり。午後にはすべてが終わっている」と自分に何度も言い聞かせ、気持ちを落ち着けました。

8時45分、検査室に入室。
ひんやりとした空気の中、見覚えのある光景が広がります。
「先生を信じる気持ちと病院への感謝の気持ちはあるけれど、強い気持ちはまだ準備できていない…」そう思っていると、技師さんが明るく声をかけてくれました。
「覚えてますか? 前もここでしたよね」
「もちろん覚えてます」と笑顔で返しつつも、「あの恐怖も覚えている…」なかなか前向きな気持ちになりきれずにいました。
準備はテキパキと進みます。
スタッフの皆さんが、少しでも快適に検査を受けられるよう工夫してくださっているのが伝わってきました。
「脚を温めますね。熱かったら教えてくださいね。」
両脚がふんわりと温まり、安心感が広がります。
先生も入室し、いよいよ開始です。

「麻酔の時は痛みがありますよ」
「押される感じがします」
先生の説明はいつも正直で、その通りの感覚がやってきます。
恐怖心を消すために「私は鼠径部からなら大丈夫!」と声に出して自分に言い聞かせると、先生も「そう。鼠径部なら絶対!大丈夫!!」と力強く応えてくれました。
とても心強かったです。
やがて技師さんが「一番痛いところは終わりましたよ」と穏やかに声をかけてくれます。
続く工程も「次はこうします」「何秒我慢してください」「これを3回行います」と一つひとつ説明してくださり、安心して身を任せられました。
先生の「目を閉じて」「口、閉じて」「息、止めて…はい、ラクにして〜」というリズムのある声かけも心地よく、気づけば私は目を閉じながら造影剤による色や光の景色を楽しむ余裕すらありました。
最後にカテーテルを抜き、先生が止血してくださる間には、先生と穏やかに会話を楽しむ時間もありました。

4回目のカテーテル検査。
「手首は辛いので、鼠径部からお願いします」という私の希望を尊重し、負担を減らすための工夫と優しさが随所に感じられる時間でした。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
検査が終わったのは9時45分。
前日に「早く終わるようにしますね」と言ってくださった先生の言葉どおり、1時間で全てが終了していました。

検査が終わり、病室に戻ったのは思ったよりもずっと早く、看護師さんたちに「もう戻ってきたの?」と驚かれるほどでした。
先生が約束を守ってくれたこと、そしてスタッフの皆さんが私の不安や苦痛を減らすために工夫してくれたことに、思わず嬉しくなり、ちょっと誇らしい気持ちになりました。

その日の夕方、先生から術後の経過は問題なしとの報告。
検査画像を見ながら「綺麗になっていますね」と説明してもらい、今後は年に一度のMRIだけで大丈夫と教えてもらいました。
痛みや体調不良もなく、鼠径部の小さな傷口も全く問題なく、予定通り検査の翌日に退院しました。

信頼と準備がくれる、心の安心

不安でいっぱいだった日々も、先生やスタッフの優しい配慮に支えられ、自分なりのちょっとした準備で、安心して検査を終えることができました。

私にとっての「安心のヒント」は、やっぱり医療者を信頼すること、そして自分も前向きな気持ちで臨むこと。
小さな準備や周りのサポートが、そっと心を落ち着かせてくれる――それを実感したとき、自然に「カテーテルって、本当に怖くなかったんだ」と心から思えました。

検査を終えた今、改めて思うのは、信頼できる先生や支えてくれたスタッフの優しさや細やかな配慮に、どれほど助けられたかということです。
あの日々を乗り越えられた自分に気づくと、胸がじんわり温かくなり、自然と前に進む勇気が湧いてきます。

カテーテル検査は、もはや特別な恐怖ではなく、自分の体と向き合い、安心を積み重ねていくひとつの経験――そんな風に感じられるようになりました。