初めての外来受診 ― 不安と期待、そしてちょっとした笑いと安心感
傷口はどうなっている?
身体はちゃんと回復に向かっている?
いろんな思いを胸に迎えた、退院後初めての外来。
左右両方の鼠径部からカテーテルを通したので、両方に傷口があります。
つい左右比べてしまい、右側の傷口の“ぽっこり”が気になっていました。
「この“ぽっこり”は何なんだ?」「ここから血が飛び出たらどうしよう?」
「早く先生に聞かなきゃ!!」と不安でした。
いざ診察になると、あれ?きれいに平らに。
「そんなバカな」「今朝まで確かに“ぽっこり”があったんです!」と必死に訴える私に、先生も思わず吹き出していました。
大好きな温泉は感染の恐れがあるからしばらく控えて、と言われたけれど、それ以外の制限は一切なし。
診察中、先生にちょっとお疲れの様子も見えたけれど、その自然体が逆に人間味があるというか、安心感につながりました。
それと、笑いあえる瞬間があったことが、何より心強かったです。
診察室から出る時、「ありがとうございました」と言いながら、心の中では「私の脳血管、一生よろしくお願いします」とつぶやいていました。
半年後〜2泊3日の検査入院〜
2025年1月。
手術から半年。経過観察のため、2泊3日のカテーテル検査入院をしました。
入院手続きは、休日対応の窓口。
待合室には人があふれ、空いている椅子を探すのにもひと苦労。
ようやく病棟へ移動すると、そこはさっきまでの喧騒が嘘のように静かでした。
身長・体重・血圧を測定し、パジャマに着替えてひと息ついた頃、先生が病室まで来て検査の説明をしてくれました。
「今回は手首からカテーテルを挿しましょう。
鼠径部より安静時間が短いからラクですよ。」
とはいえ、どう考えても手首なんて痛そうなイメージがあったので、私は不安で「手首って痛くないんですか?」と尋ねると、先生は正直にこう答えました。
「確かに痛いです。でも、麻酔のときだけですよ」
その言葉を信じて「それなら大丈夫」と気持ちを整えました。
看護師さんにも確認すると「手首の方がラクという方、多いですよ」と同じ回答。
「じゃあ、麻酔さえ頑張れば」と自分に言い聞かせ、検査当日を迎えました。
手首だから安心——の落とし穴
カテーテル検査当日の朝。
検査着に着替え、8時45分に検査室へ。
「我慢するのは麻酔のときだけ」
そう信じて、気持ちを整えていました。
麻酔の針が刺さる瞬間は、あらかじめ心の準備をしていたおかげで、鋭い痛みにも「これか!確かに痛い!!」と思いながらも、なんとか耐えることができました。
——でも、本当の地獄はその後に待っていました。
「少し押される感じがありますよ。」
先生のその言葉を合図に、カテーテルが入った瞬間——
右腕に突然走った、経験したことのない強烈な痛み。
同時に、張り裂けそうなほどの圧迫感が押し寄せ、まるで腕が内側から爆発するような錯覚に陥りました。
鼻や口から呼吸をしているはずなのに、その痛みと圧迫感のせいで、息すらまともにできないような状態。
本気で「もうダメかもしれない。」と思うほどで、身体の一部に感じた異常が、全身を支配するような、そんな瞬間でした。
先生はすぐに異変に気づき、「痛いときは我慢しないで。我慢するところじゃないから。」と優しく声をかけてくれました。
けれど、これは単に「痛い」では片づけられない感覚で――「破裂する」とか「張り裂ける」とか、そんな言葉さえも追いつかない。
思考は停止しているのに、「何か伝えなきゃ」という焦りだけが頭の中をぐるぐる回って、でも、言葉が出てこない。
痛みというより、ただただ「どうにかなってしまう」という感覚に圧倒されていました。
どうやら私の血管は想定よりも細かったようです。
「深呼吸しましょう」と繰り返し声をかけられても、今まで経験したことのない感覚に圧倒されて呼吸すらままならない状態。
頭はもちろん、体も固定されているので右腕をさすることもできず、何が起きているか破裂しそうな右腕を見ることすらできませんでした。
「もう無理」「やめてください」
その言葉が喉元までこみ上げてきましたが「ここでやめたら、また検査をやり直さなきゃいけない」「この状況をつくるために、どれだけ多くの人が関わってくれたか」——
そう思うと、言葉にできない気持ちでなんとか踏みとどまっていました。
造影剤が注入された瞬間、「これが稲妻ってやつか」と思うほどの電撃のような刺激が体を走り、全身が凍りつきました。視界が真っ暗になり、足先や指先を動かそうと思っても動かない。
“自分の意思で動かせない”という感覚は、ほんの数秒でも想像以上に怖かったです。
カテーテルを抜いたあとも痛みと圧迫感は続き、右腕には見た目以上の違和感が残りました。
病室へは車椅子で移動。
「1時間後には歩けますよ、食事も可能です」と説明されても、気持ちはまったくついていけませんでした。
止血も時間がかかり、傷口のチェック時には血が“ピューッ”と飛び出して看護師さんと顔を見合わせる一幕も。
全体としては順調な経過だったけれど、心も体も限界ギリギリでした。
検査後、先生が病室に来てくれました。
「辛かったと思います。でも、検査結果はとても良好でしたよ」
本来なら安心すべき瞬間。
けれど私は、「カテーテルなんて怖くない」とは、どうしても思えず、心境的には「恐怖だらけのカテーテル」でした。
確かに、多くの人にとって、手首ルートは「ラク」なのかもしれません。
でも、私にとってはこれまでの人生で一番辛い時間でした。
医療に「絶対に大丈夫」はありません。
説明で使われる「ラク」は、あくまで“一般的には”という前提のもとで聞くべきものだと、身をもって学びました。
これから検査を受けるあなたに伝えたい。
「不安を口にすること」も、「痛みを伝えること」も、遠慮はいらないということを。
あなたの感覚こそが、安全な医療を一緒に作るための、大切な情報なのです。
私も検査後に、先生にはっきり伝え、お願いしました。
「手首は絶対無理です。次は鼠径部からにしてください」
右腕の圧迫感を除けば、検査そのものは順調で、翌日には予定通り退院できました。
でも「順調だった」と言い切るには、あまりにも大きな経験でした。