担当医との日々を振り返る
ここからは少し過去にさかのぼります。
診察を重ねる中で、私にとって「信頼できる先生」となった担当医との日々を振り返りながら、最後のカテーテル検査までの出来事と、別れの寂しさをお伝えします。
初めての信頼 — 「一生よろしくお願いします」
2024年の夏、カテーテル手術を終えて初めての外来で、心の中でそっと「私の脳血管、一生よろしくお願いします」とつぶやきました。
初診のときから丁寧に説明してくれた先生。
カテーテル検査や手術を通して、「カテーテルって、想像よりずっと怖くない」と思わせてくれました。
私が笑ってほしいと願って話すことに、思いきり笑って返してくれる――その反応が何より嬉しく、安心感をくれたのです。
診察室に入ると、緊張よりも先に「ホッとする気持ち」がやってくる、そんな存在でした。
最後のカテーテル検査 — 希望と安心
最後のカテーテル検査は、先生にお願いして鼠径部から行うことにしました。
前回の手首からの検査が、あまりにも辛かったからです。
検査前日、看護師さんに「鼠径部からなんですね。先生なんて言ってました?」と聞かれたとき、不安が胸をよぎりました。
「珍しいのかな」「先生に負担をかけてしまったのかも」――そんな思いが頭をかすめました。
でも、検査が始まると先生の落ち着いた手さばきや声かけ、随所に感じられる優しさや細やかな配慮のおかげで、少しずつ緊張がほどけていきました。
局所麻酔で意識がある中でも、気づけば安心して検査を受けられていたのです。
検査の後半、先生が「前回は申し訳なかった」と言ってくださったとき、その言葉がさらに心に届きました。
前日に「なるべく早く終えます」と約束してくださったことも、後になって「本当にそうしてくれたんだ」と気づきました。
五十肩で長く同じ姿勢が辛いことを理解してくれていたからこそ。
そうした1つひとつの優しさが、私の中の信頼をより深くしてくれました。
経過も順調。「これからは年に一度のMRIだけで大丈夫」と告げられ、胸をなでおろしました。
別れの寂しさ — 「ありがとう」の気持ち
最後のカテーテル検査を受けたとき、先生がまもなく病院を離れることを知っていました。
検査後にも先生に直接確認し、病院を去ることに変更がない事実を受け入れているつもりでした。
初診から最後の検査まで、いつも優しく丁寧に対応してくださった信頼できる先生。
検査結果も問題なく、予定通り「最後のカテーテル検査」となり、ひと安心しました。
本来なら喜んで退院の日を迎えるはずなのに、退院時に看護師さんから渡された次回の予約票の担当医欄に、もう会えないはずの先生の名前があるのを目にした瞬間、胸の奥に寂しさが広がりました。
退院して帰宅するまでの足取りも重く、気持ちの切り替えがうまく出来ませんでした。
それでも、少しずつ心の中で「先生のように優しく、一緒に笑ってくれる新しい先生と出会えますように。」と願えるようになりました。
そして、これからの先生の歩みを感謝とともに見守りたい気持ちでいっぱいです。
前を向くために — 先生からもらった安心
脳動脈瘤という、これまでで一番大きな病気を経験した私にとって、信頼できる先生との出会いは何よりの支えでした。
いただいた安心感があったからこそ、手術も検査も無事に乗り越えられたのです。
別れは思ったより早く訪れました。
それでも、先生と過ごした安心の日々は私の支えです。
手術を経て、脳動脈瘤のことで過度に心配する必要のない体を手に入れたからこそ、寂しさにとどまらず、前を向いて生きていきたい。
――いただいた安心と信頼を胸に、少しずつ歩みを進めていきます。
そしていつか再会できたとき、「あのときの患者です」と笑顔で言える自分でいたいと思います。